他人の裸を観察できるヌードデッサンの魅力

男の娘で美術ヌードモデルの春海です。

僕は、美術ヌードモデルをしているので、仕事
柄、他人の目の前で全裸を披露しています。

恥ずかしくないのかといえば恥ずかしさは、あ
りますけど仕事と割り切って堂々と自分の在り
のままの姿を観察させています。

人は、普通服を着ているので「裸」を他人に見
せることは、入浴施設など限られた場所だけに
なります。

美術ヌードモデルは、その裸を惜しげなく隅々
まで観察されてしまいます。

ヌードデッサンは、一種独特の世界です。

そんなヌードデッサンの世界を今一度深く掘り
下げてみたいと思います。

ヌードが出て来るので不快に思う方と18歳未
満の方は、ご遠慮ください。

人前で脱ぐお仕事ヌードモデル

人前で全裸になる!

そう聞くと「えっ」と驚きますけど、芸術の世
界では、ヌードは、日常的な光景です。

肉体という自然の芸術作品を模写するヌードデ
ッサンは、芸術を志す者にとって欠かせないも
のです。

人間本来の構造を学ぶことは「人」を描くうえ
でとても重要です。そのため服というアイテム
を取り去った裸のモデルが必要となります。

そこで登場するのが美術ヌードモデルです。

僕は、その美術ヌードモデルを長らく務めてい
ます。

僕の性別は「男性」なんですが、元々中性的な
身体で、それを女体化して今では、Bカップほ
どの胸の膨らみを持ち、女性的な身体のライン
をもつ一風変わった不思議なモデルです。

男性なので股間には、アレがありますけど、包
茎で色白。大きさは、尖った包皮のクシャクシ
ャの先端を含めて約5.5センチと可愛いもの
です。

そしてアンダーヘアーを処理しているので股間
は、ツルツルです。

女体化した身体と小さな綺麗な股間なので、ギ
リシャ彫刻ヘルマプロディートス(両性具有の
神)みたいと評価されています。

そんな感じの僕。そのヌードモデルのお仕事の
1日のワンシーンを紹介します。

美術ヌードモデルをする日は、まずシャワーを
浴びることから始まります。
僕は、それを禊(みそぎ)と言い裸体を魅せる
ためのお清めの儀式にしています。

シャワーを浴びて身体を綺麗にすると、裸体の
全身に空中に噴射した香水の中を潜り抜けて淡
い香りを纏います。

裸体ってどんな人でも独特の体臭があります。
僕の場合は、ほのかな甘くお日様の様な匂いだ
そうです。

香水を纏うのは、全裸のヌードモデルの唯一出
来るお洒落とエチケットです。

そしてブラトップを着てミニスカートを履きま
すが、パンティーは、履きません。それは、下
着の跡を残さないためです。

それからメークをしてショートボブのウイッグ
を装着して完成です。後は、ロングカーディガ
ンを羽織って露出を抑えます。

ヌードデッサン会場に着くと、控室や部屋の隅
で服を脱いで全裸になって薄手のガウンを纏っ
て待機します。

待機しながら、その日のポーズのイメージを予
習しておきます。

やがて、時間が来てガウンのまま描き手に一礼
すると恭しくガウンを脱いで全裸になります。

この瞬間が堪らなく緊張します。

そしてキッチンタイマーのスイッチを入れると
全裸でポーズをとります。

すると全身隅々まで熱い視線が注がれます。

全身に感じる空気感が今全裸なんだと意識でき
その姿を観察されることにドキドキします。

僕の場合は、細密デッサンが多いので、20分
ポーズ10分休憩を6セット。同じポーズを意
識してモデル台に上がっています。

こうして賞味120分のヌードモデル。休憩を
入れて3時間は、あっというまに過ぎます。

言葉で書くとこんな感じですけど、実際は、動
かないでポーズをとるのは、結構大変です。

ポーズを維持するのに集中しているので、気付
けば羞恥心は、希薄になります。

約7年美術ヌードモデルをしているので、羞恥
心は、かなり克服して今では、裸を魅せること
に満足感すら感じます。

脱ぐだけなんだけど、誰でもが簡単には出来な
いお仕事なので、優越感すら覚えます。

他人の裸を観察するという事

入浴施設では、みんな裸ですけど、その裸体を
ジッと見つめることは、ありません。

愛し合う関係でも個人差は、ありますけど見る
には見るけどジ~ッと裸を観察されることは、
あまりありません。

現代では、ヌード画像や動画を気楽に見れます
けど、無修正の三次元の生の裸を見る機会は、
ごく限られています。

ところが、芸術の世界では、他人の裸をじっく
り隅々まで観察するのが常識です。

人って案外、生の「裸」を知りません。

毎日の入浴で自分の裸を見ますけど、後ろは、
見えないし、あまり気にしません。

裸は、身近な様でその全体像は、おぼろげな記
憶の中にあります。

ヌードデッサンでは、他人の裸をこれでもかと
いうほど隅々までじっくり観察します。

頭の天辺から足の指先まで余すことなく全身を
観察して描きます。

そうです。美術ヌードモデルをするということ
は、自分の生まれたままの姿を嫌と言うほど観
察されるという事です。

男性ならもちろん性器も観察されます。女性ヌ
ードモデルの多くは、アンダーヘアーでアソコ
が隠れるので見えませんが、処理していると小
股の切れ上がりもバッチリ観察されてしまいま
す。

通常、性器は、隠されている物なので描き手の
興味も深々です。ポーズに専念していても熱い
視線を感じます。

裸体は、面白いくらい個人差があります。

僕も元々は、描く側で数十人のヌードモデルを
描いてきましたけど、飽きることはないです。

ヌードデッサンで美術ヌードモデルは、当然の
ように全裸なのですが、描き始めは「本当に見
ていいの?」と、遠慮がちに観察して、気付け
ばじっくり観察している自分が居ます。

僕は、美術ヌードモデルの悠然と脱いでいる姿
に、恥ずかしくないのかな、自分だったらどう
だろうと、想いを馳せて生身の肉体を描いたも
のです。

そして惜しげなく全裸を見せてくれる美術ヌー
ドモデルに感謝していました。

僕が描いたヌードモデルのほとんどは女性なん
ですけど、女性特有の官能的な肉体、胸の膨ら
み乳首や乳輪の形や色、そして整えられたアン
ダーヘアーを描きながら興奮しました。

やはり女性のヌードは、美しいです。

それを堂々と観察できるヌードデッサン。有難
いなあと思いました。

考えてみれば、数千円払うだけで他人の裸を遠
慮なく見ることが出来るヌードデッサンは、と
てもお得な感じがします。

しかし肉体を描くのは、案外難しいです。

全て曲線で構成された肉体と言うモチーフ。
その質感を描くのは、難易度が高いです。

気付けば、ヌードモデルの放つエロスを忘れて
必死に観察しながら描いている自分。

全裸の美術ヌードモデルが孤高の存在に感じら
れ尊敬の念を禁じえません。

在りのままの姿の解放感

裸になるお仕事。美術ヌードモデル。

カメラの前じゃなくて肉眼で全裸を隅々まで観
察されるお仕事です。

大勢の人前で裸になるくらいだから、さぞ大胆
で勇気が有り、自分の肉体に自信がある人だと
思いますよね。

確かに、美術ヌードモデルの多くは、スタイル
が良いのですが、接してみると案外普通の人な
んです。

その一例が僕です。

僕は、勧められて美術ヌードモデルの世界に足
を踏み入れたのですが、中性的な身体で男性器
は、小さくて色白な包茎です。男性モデルとし
ては自信が全くありませんでした。

それが、人前でヌードになるなんて今思うとよ
く脱げたなあと不思議に思います。

今までは、ヌードモデルを見る側だったのに、
自分が見られる側になってみると、その違いに
驚きます。

実際に人前でヌードになってみると、込み上げ
る羞恥心以上に、圧倒的な解放感。そして自分
に向けられる熱い視線にたじろぎます。

脱ぐ以前に覚悟は、出来ていたつもりでも人前
で全裸になってみると、全身隅々まで注がれる
視線が、むず痒い感じです。

しかしポーズに集中していくにつれて意識が、
生きたモチーフとしての裸体だということに変
化して無の心境になっていきます。

僕の赤裸々な姿が、描き出されていく。それは
不思議な感覚です。

人前で全裸になることに慣れてきた今では、僕
の全てを魅せる余裕が出てきました。

在りのままの姿をこれでもかというほどに注目
を浴びてゾクッとしますけど、僕の裸体が緻密
に観察されて描かれていくことが、芸術の役に
立っている喜びを感じます。

誰でもが簡単には出来ないヌードモデルという
仕事に誇りを感じます。
慣れたとはいえ羞恥心はあります。でも、それ
を上回る不思議な優越感。

芸術の祭壇に身を捧げている崇高な感覚。

僕の裸体を一生懸命に描く人々の前で僕は、余
すことなく自分の全てを観察させます。

ちょっと恥ずかしいけど、自分の在りのままの
姿を熱い視線で観察される注目度は、例えよう
の無い嬉しさを感じます。

大勢の描き手が、必死に僕を描く様子を悠然と
見つめる時、この場は、僕中心に回っていると
いう自尊心をくすぐります。

限られた時間で僕の全てが平面に写し取られて
いく集中した濃密な時間の流れ。

そして仕上がった自分のヌード作品を拝見し、
その美しさに恥ずかしさより芸術を感じて嬉し
くなりました。

作品という形で自分の姿を客観的に見ると、我
ながら美しい裸体だと思いました。

僕って、こんな風に見えているんだ。そして描
いた人から「美しい」「綺麗」「可愛い」と称賛
されて、嬉しくなります。

脱いで良かった!

羞恥心は、上の空で喜びを感じます。

そんな感じなので、今では、ヌードモデルとし
て人前で脱ぐことは、楽しみのひとつです。

羞恥心は、描くほうにも有る

僕のヌードモデル初期の頃の作品です。

まだ羞恥心が強く初々しい感じです。

女体化初期なので胸も小さく、顔は、恥ずかし
いので少しアレンジしてもらいました。

股間を隠しているので性別不詳な中性的な作品
ですが、発育途上の少女に見えます。

堂々と全裸を披露する美術ヌードモデル。

恥ずかしくないのかな?

ヌードデッサンが初めての人は、生の全裸に戸
惑いと感動を覚えます。

描いていた時は、悠然とヌードになるモデルに
感情移入して(恥ずかしくないのかな、自分だ
ったら出来るかな?)と想いを馳せて、頬を赤
らめて生身の肉体を観察して描いていたのを思
い出しました。

匂い立つほどに生々しい肉体。美しいと思うけ
ど興奮を隠せません。

服を脱ぐと人間の本来持つエロスが、これでも
かというほど溢れてきます。

なので、見るほうは、そのエロスを強烈に感じ
ずには、いられません。

男性モデルならエロスの象徴である性器も否応
なしに丸見えです。

美術ヌードモデルの裸体は、芸術のために脱い
でいるとはいえ裸体は、エッチです。

描くのに夢中になっても股間の反応は、正直で
す。そのくらい生の裸体は、見る者に強烈な印
象を与えます。

観察しながらサディスティックなエッチな気持
ちになってきます。

僕のように感情移入して恥ずかしい気持ちにな
る人も少なくありません。

ヌードモデルは、これ以上ないくらい恥ずかし
い姿を披露してくれますけど、それを見るほう
も恥ずかしい感じがします。

本当に見ていいの?見ちゃうよ。ああ、このモ
デルさんの身体ってこうなんだ。すごく綺麗だ
なあ。でも、すごくエロいなあ。

ヌードデッサンは、エロスとの格闘です。

でも裸の人間の持つエロスには、勝てません。

人間の裸体。特に女性の肉体の色気は、性欲を
芽生えさせるために「そういうふうに」出来て
います。

なので、男性の描き手だと少し油断すると股間
が反応してしまいますし、女性でも反応してし
まう人も居ます。

容赦なくヌードモデルを観察する描き手にも生
々しいエロスに羞恥心が芽生えます。

僕は、ポーズの研究のために、たまにヌードデ
ッサンをしますけど、見る側に立つと全裸のモ
デルに対して感謝の気持ちが込み上げます。

脱いでくれてありがとうって感じです。

そして、僕のヌードも、こういう風に見えてい
るんだと思うと脱いでいないのに羞恥心を感じ
ずにはいられませんでした。

羞恥心に勝って脱いでいるヌードモデルって凄
い。我ながらそう思いました。

ヌードデッサンの魅力

数千円の参加費で、他人の裸体を遠慮なく観察
出来るヌードデッサン。

ヌードデッサンの魅力は、他人の裸をこれでも
かってくらい隅々までジックリ観察出来ること
にあります。

人って、他人をジックリ見る事って案外少ない
ものです。

パッと見の印象で他人を脳内で合成して印象を
作っています。

剥き出しの顔でさえ、ジーッと見つめることは
日常では、ありません。

せいぜい二次元世界でじっくり眺めるくらい。

ましてヌードは、大半の人が二次元でしか見る
ことができません。入浴施設だと見れるけど、
ジッと見つめることは、ありませんよね。

それが堂々と、他人のヌードを観察できるとこ
ろがあります。ヌードデッサンです。

そこでは、他人のヌードを心行くまで隅々に渡
りジックリと観察できます。

それも生身の人間。三次元のヌードです。

男性ヌードモデルなら性器も丸見え。女性ヌー
ドモデルでもアンダーヘアーが薄い人は、女性
器の割れ目が見えます。

もはや服を全て脱いだ以上隠す部分は、何もあ
りません。

美術ヌードモデルは、裸を見せるために脱いで
いるので、遠慮なく裸を観察できます。

生のヌードは、印象の中で知っているヌードと
は、全然違います。

他人の一糸まとわぬ姿をこれでもかというほど
見つめても構わない世界。

それが、ヌードデッサンです。

美術ヌードモデルは、見せるために脱いでいる
ので、どれだけ裸を観察してもいいんです。

他人のヌードを遠慮なく見れるヌードデッサン
は、人間本来の姿を知る絶好の機会です。

おぼろげだったヌードが、目の前にリアルに存
在する。見る側は、興奮を覚えずには、いられ
ません。

なぜヌードデッサンをするのか?
それは、一言で言えば「裸」を見たいから。

確かに芸術という理由もありますけど、本音の
部分では、ヌードを見たいからです。

人のヌードに宿る特別なオーラ。一糸まとわぬ
その容姿は、かけがえのない無い芸術作品。
自然美の極みと言えると思います。

ヌードは、その人の持つ全てを曝け出します。
肉体美は、もちろん性格や品格。そしてエロス
まで溢れんばかりに目に出来ます。

ヌードモデルは、そのことを知っていて脱いで
いますので、裸で悠然とポーズをとります。

なので、描き手は、生々しい裸体を心行くまで
観察してもいいんです。

だって、美術ヌードモデルは、裸を見せるのが
仕事です。恥ずかしさも承知の上で脱いでいま
すから遠慮なく見てあげてください。

じっくり観察されて緻密に美しく描かれれば、
それもモデル冥利に尽きるというものです。

脱ぐほうにも自分を注視してもらえる優越感を
感じて、芸術に身を捧げた自分に心から満足で
きます。

後で作品を見ると、ちょっと照れくさいですけ
ど脱いで良かったと思います。

そんな感じで脱いだヌードモデルも満足するヌ
ードデッサン。

ヌードを描く人は、優雅に全裸でポーズをとる
モデルの全身を緻密に観察して、その人の持つ
本来の姿から漂うエロスを満喫します。

ヌードモデルの裸体は、実に味わい深い人間の
自然美の賜物です。

まとめ

ヌードデッサン。

なんだかエッチな響きもある言葉です。

名前のごとくヌードを描く。そのために全裸に
なるヌードモデルの存在が重要です。

誰かが脱がなくては、成立しない共同作業。

一人(複数の場合もある)ポツンと全裸になっ
て大勢に囲まれて観察される。

一見モデルが、可哀そうな感じがしますけど、
芸術のために全裸で必死に動かないでポーズを
取るヌードモデルは、孤高のプライドを持って
脱いでいます。

生々しく匂い立つほどのリアルな裸体と溢れ出
すエロスに描き手は、思わず圧倒されます。

しかし「描く」という作業に没頭していくうち
に容赦なくモデルの裸体を観察しています。

健気に全裸でポーズをとるヌードモデルを観察
していると、本当にこんなに裸体を見てもいい
のかな?そんな感じもしてきます。

でも、遠慮なく裸体を観察してください。美術
ヌードモデルは、裸を観察されるのが仕事です
ので、ぜひ隅々まで見てあげてください。

美術ヌードモデルも良く観察されて綺麗に自分
の裸体を描かれるのを嬉しく感じています。