ヌードを魅せる喜びと見る喜び

男の娘で美術ヌードモデルの春海です。

僕は、今紹介したように、女装して美術ヌード
モデルとして裸の姿を披露しています。

ヌードモデルの時もメークしてウイッグを被っ
た状態。その上、女体化しているので、一見女
性のヌードに見えます。

その中性的な雰囲気は、描く人の心を捉えて離
さないものがあります。

お仕事とはいえ、人前で脱ぐのは、どんな気持
ちなのでしょうか?

今回は、僕のヌードを鑑賞しながら脱ぐ側の気
持ちと見る側の気持ち、そしてヌード哲学につ
て考えてみましょう。

ヌードが出て来るので、不快に思う方と18歳
未満の方は、ご遠慮ください。

中性的なヌードを目指し女体化

僕は、先ほど書いたように美術ヌードモデルの
仕事をしています。

きっかけは、ヌードデッサンをしていたアトリ
エのオーナーに勧められて脱いでみたのですが
男らしくない中性的な容姿に、意外な評価をも
らって美術ヌードモデルを始めました。

AAカップの胸の膨らみ。コーラルピンクで少
し大きい乳首や乳輪。ウエストのくびれ。柔ら
かな身体のライン。少ないアンダーヘア、そし
て色白で包茎の小さな幼い男性器。

男らしさは、微塵にも感じられません。

そんな中性的な身体は、僕のコンプレックスだ
ったのですが、いざ脱いでみると、案外評価が
高く、認められて嬉しくなりました。

僕は、より中性的な身体を目指して女性ホルモ
ン類似物質のプラエリア含有のサプリや豆乳を
飲み、胸や乳首をマッサージしました。

それ以外に、幼い印象の綺麗な色で包茎のアソ
コを引き立てるためにアンダーヘアーを全て処
理してツルツルにしました。

元来女性ホルモンが多めだった僕は、1年ほど
でAカップになり、そこから数年かけてジワジ
ワ成長してBカップになり、今では、Cカップ
目前まで成長しました。

身体つきも柔らかな曲線が、より女性的な肉付
きになりました。

そして、Aカップになり乳首や乳輪も大きくな
った頃、女友達にいじられて顔をメークしたら
あら可愛いじゃないですか。

そこから女装に目覚めて男の娘への道を歩み始
めました。

女声を出せる僕は、女装の完成度も高くて、合
コンで知り合った男性に惚れられて付き合うよ
うになりました。

僕も彼も同性愛志向は、ありません。ただ、僕
が、たまたま男の娘だったということで、否応
なく同性愛になってしまった不思議な縁です。

女声は「こじらせ女子」という記事にショート
動画を掲載しているので聞いてみて下さい。
男とは、思えない女装に納得いくと思います。

彼氏が出来てから女体化は、より進みます。
彼氏の愛情が、女性ホルモンを促すのでしょう
か?身も心も女性的になっていきます。

因みに僕たちは、同性愛ということになるので
すが、僕が女装し女体化しているので一般的な
同性愛とは、ちょっと違います。

彼は、僕を女性的に扱ってくれます。
セックスもしますけど、挿入を伴わないバニラ
セックスで愛し合っています。

詳しくは「様々な愛のカタチ序章・第二章」と
いう記事に書いてあるので読んでみて下さい。

そのお陰か、女体化は、止まることを知らずに
ゆるやかに成長が続きました。
特に、乳首や乳輪を強く吸ってもらったり愛撫
されて今では、女性と遜色ないほどの大きさに
成長しました。

女体化した身体とメークしウイッグを被った女
装ヌードは、評判を呼び依頼も増えました。

アソコを見なければ女性と見まごうばかりの美
しい裸体に描き手も大満足です。

僕も、女体化女装ヌードという珍しい裸体を注
目されて嬉しいです。

男でも、男の娘の僕は、綺麗、可愛いと言われ
るのが最高の満足感です。

美しきヌードを見る喜び

満面の笑みで嬉しそうに裸になる僕。

ほどよい膨らみの美乳。綺麗な色の女性並みの
乳首と乳輪。ウエストのくびれと、腰から脚へ
かけての柔らかな曲線美。

ボカした股間で僅かに男の子だと解るけど顔と
いい身体といい女性にしか見えない身体です。

見れば見るほど女性の官能的な裸体に見えてき
ます。でも、小さなアレが付いている!
股間がツルツルで小さな包茎なので、ギリシャ
彫刻の様です。

こんな姿で美術ヌードモデルを務めています。

僕の場合、男性ヌードモデルなんですが、中性
的な男性ヌードモデルに分類されています。

事前にそうお知らせしてあるのですが、イザ僕
の裸体を見た時、描き手の多くは、驚きを隠せ
ません。

人は、他人のヌードを見たいという本能があり
ます。普段服で隠されているので興味があると
いってもいいかもしれません。

そんな隠された生身の裸体を存分に見られるの
がヌードデッサンです。

ヌードデッサンの8割は、女性ヌードモデルで
す。なぜかって?それは、女性の裸体が、美し
くて芸術的だからです。

ヌードデッサンの基本は、緻密な観察です。

モデルの在りのままの姿を全身細部にまで渡っ
て観察して描きます。

だから、どうせ観察するなら美しい女性のヌー
ドのほうが需要が有ります。

男性の筋肉質な肉体美というのもありますけど
多くの描き手は、男女問わず女性を描きたいと
思っています。

まあ、理由はどうあれ、ヌードデッサンをする
人は、画力の向上。自然美の観察といった芸術
的な要素もありますけど、他人の裸が見たいと
いうのが本音では、ないでしょうか。

僕も描き手の時は、そうでした。
綺麗な肉体を描きたいという気持ちも強かった
でが、女性のヌードを見たいという下心もあっ
たのは、事実です。

僕がヌードデッサンを務めるアトリエやデッサ
ン会場では、描くのは、女性が多いです。

「中性的な男性」という触れ込みに女性が反応
したのかもしれません。

その中には、長らく一緒に描いていた女友達も
数人含まれます。

なので、僕のヌードを見た感想を気楽に聞くこ
とが出来ます。

初めて脱いだ時は、やはりアソコに目が行っち
ゃうそうです。それも親しい友達の性器。興味
が無いと言ったらウソになります。

小さく色白で包茎のアソコも綺麗で可愛いと絶
賛されました。

他人、それも親しい男友達の全裸をみるのは、
少し躊躇するけどやはり嬉しいそうです。
僕が、初めて脱いだ時の感想を一部紹介しまし
ょう。

「〇〇君のアソコ、先っちょがクシュクシュッ
として肌色で綺麗で可愛い。」

「陰毛も控えめで清潔そうな感じ(僕は、元々
アンダーヘアーが少な目でした)」

「オッパイが、少し膨らんでいて乳首も綺麗。」

「色白でスタイルがイイ。女性的な身体ね。」

等々・・・

女友達は、僕の赤裸々な姿をジックリ観察して
その女性的な容姿や包茎で小さな可愛い男性器
を見て、男性らしくない綺麗で中性的な身体に
不思議な魅力を感じたそうです。

そして親しいフェミニン男子が、脱いでくれた
ことに驚きとともに「エッチな感じがした」と
言っていました。

二次元系では、よくある中性的なキャラ。それ
がリアル世界で見られるなんて!と、嬉しかっ
たそうです。

おおよそ男としての評価より、中性的な身体や
小さく綺麗なアソコを褒められて、僕としては
やや複雑ですが、褒められて素直に嬉しく思い
ました。

そして月日が流れ女体化も進みます。

メークしてウイッグを被り女性的な身体。アソ
コの存在は、ありますけど女性のヌードと遜色
ない佇まいに描き手は、見惚れます。

「〇〇君、すごく綺麗でセクシーな身体になっ
たね。オッパイも乳首も綺麗だし、ボディーラ
インが柔らかで本物の女性みたい。」

「いつ見ても美しい裸体。羨ましい感じ。本当
に綺麗です。でも、エッチな身体です。見てい
て変な感じになっちゃう。」

「男子がここまで女性的になるなんて信じられ
ないくらいです。スタイルいいし、官能的な肉
体。ヌードモデルとして最高の身体だと思いま
す。」

女友達は、僕の女体化した身体を絶賛します。

そして描き手時代からの知り合いの男性は、

「見事に女性化しましたね。見ていてウットリ
してしまうよ。女性の裸を見ている様な気分だ
よ。素晴らしい!」

「パッと見女性。オッパイの形がイイし、乳首
や乳輪も女性みたいでしかも綺麗な色。可愛い
アソコも包茎の概念を覆す美しさです。」

と、褒めてくれました。

みんな僕のヌードを褒めてくれるので脱いだ甲
斐があるというものです。

女装も完璧ですが、脱いでも女性的。長年の努
力が報われる感じです。

ヌードは、やはりエッチです

身体をくねらせたセクシーポーズの僕。

細すぎない身体が、肉欲的な雰囲気を醸し出し
ています。エッチな身体ですね。

やはり股間を見なければ女性みたいなヌード。
細すぎずポッチャリでもなく丁度いい肉付きの
官能的な肉体です。

自分で見ても写真でこうして見ると綺麗でエッ
チなヌードだと思います。

僕は、姿見の前で全裸でポージングを毎日の日
課にしています。

自分が、どう見えているか。そしてボディーチ
ェックと体幹トレーニングを兼ねて鏡に映った
裸体を見ながらポーズを20分とります。

普段美術ヌードモデルの時は、自分の姿が見え
ないのですが、客観的に見ると、我ながら美し
い身体だと思います。

そして、エッチな身体だなあと思います。

その証拠に勃起まではしなくても、気が付くと
アレの先っちょが濡れてしまいます。

自分のヌードに興奮している僕。ギリシャ神話
のナルキッソスみたいですね。

でも、女体化したヌードを見つめていれば、そ
れは、自然な男の摂理です。

男性は、女性に比べて視覚的な要素で性的に興
奮しやすいです。
女性の身体の露出した部分を見るだけでもドキ
ッとするくらい敏感です。

それが、全裸なら尚の事、即興奮状態です。

普段家では、裸族生活で、彼氏の家でも二人で
裸族生活を送っています。なので裸がいつでも
見れるので、彼氏は、常に興奮状態です。

同性愛ですが、僕の男性性に興奮するんじゃな
くて女性的な身体に興奮しています。

女性のヌードには、美しさを感じると同時にエ
ロスを感じてしまいます。

オッパイ。乳首。ウエストのくびれ。曲線美。
女性に備わったそうした特徴は、男性の興味を
惹き付けます。

女性でも女性の裸体に興奮を覚える人は、少な
くありません。僕の女友達は、男性のヌードよ
り女性のヌードのほうがエッチで、官能的と言
っています。僕もそう思います。

男性ヌードモデルの場合、筋肉質的な肉体美と
立派な褐色の男性器が目に入るけど、美しさと
言うより男らしさが勝ります。

その点、僕のヌードは、女性的な中に少年とい
うか幼い綺麗な可愛い男性器がピョコンと付い
ていて、中性的で両性具有の不思議な美しさと
エロスが漂っています。

初めて僕の裸体を見る描き手は、男女共に困惑
するそうです。男なのか、女なのか、或るいは
両方なのか。絶妙に調和した美しさ。

女友達は、僕の裸体をエロスの完成形と称して
います。

「〇〇君の身体って、エッチね。」

女体化した身体に可愛い綺麗な包茎男性器の融
合が、とてもセクシーでエッチだそうです。

そういうエッチな要素を見られているのを知り
ながら脱ぐ。

まあ、全裸になるのって、そういうことですか
ら覚悟は、出来ているけどドキドキします。

ヌードとエロスを哲学する

少し横向きのポーズをとる僕。オッパイの膨ら
みが解りやすい構図です。ツンと立った乳首は
とても男性だとは、思えない感じです。

裸体を他人に見せる。それは、非日常的な感覚
です。圧倒的な解放感と共に湧き上がる羞恥心
と在りのままの姿を暴露する心細さ。

ヌードは、脱ぐ人と見る他人の存在で成り立ち
ます。裸体を見つめて成立する状態です。

ヌードデッサンでは、観察が重視されます。

惜しげもなく裸体を魅せるヌードモデルと、そ
れを穴が開くほど観察する描き手。

裸体を見つめるとは、単なる視覚的な行為では
なく、他者と自分、主体と世界との関わりを再
構築する深い行為です。

何のこっちゃ・・・

哲学は、難しいのが面白いです。

僕の解釈では、脱いでくれる人は、自分の代わ
りに恥ずかしい裸体を見せてくれることへの感
謝の気持ち。そして裸体という究極の人間の美
しい姿を見て自然美を感じる時、初めて生身の
人間への畏敬の念が生じる。

そんなところでは、ないでしょうか。

そして、裸を見られる側は、他者は、私の正体
を「まなざす」存在であり、見つめられる経験
を通じて、私が客体(見られる側)であること
を認識し、これにより自己意識が形成される。

裸を見るという行為は、人間本来の在るがまま
の姿を凝視することで、人間の本質に迫り、心
理や美を見出すことです。

人間の裸の本質。身体の美しさ。自然美。そし
てエロスの存在。見られる側は、衣服で隠して
いた部分をあからさまに全て見られる。

中でも、エロスを見られることへの衝動は、脱
いだ人で無いと解らない感覚です。

古代ギリシャのプラトンは、エロスを美や善へ
の憧れの原動力として人間は、より高い精神的
な境地や心理に達すると言っています。

現代のエロ=卑猥な物という感覚では、無くも
っと崇高なものとして見ていたようです。

古代ギリシャでは、ヌードは、身近な存在でし
た。オリンピックの選手は、全裸ですし裸の彫
刻がたくさんあって、ヌードとエロスが溢れて
いました。

プラトンの「饗宴」では、エロスについて討論
した記録も残っています。

饗宴は、ギリシャ語でシュンポシオン。英語で
は、シンポジウム。真面目て堅苦しい感じです
が、そこでエロスについて討議していたとは、
面白いです。

饗宴の中では、エロスは、欠乏から生じる向上
のエネルギーだと言っています。

最初は、美しい肉体への憧れから始まりやがて
美しい魂、そして法や学問、最終的には、絶対
的な「美のイデア」として愛の対象が昇華され
ていくプロセスと言っています。

イデアとは、魂の目で捉える真実の姿、本質を
意味します。純粋な心の目で見るということ。

ヌードを見るという事は、単なるエロティック
な性衝動だけでなく、対象者の愛を知る尊い行
為になるということです。

哲学的にヌードを考えると、僕のヌードを通し
て、僕のエロスそして愛を感じてもらえる。

それは、嬉しいことであり、脱ぐという行為が
ストイックで崇高なものに感じることが出来ま
した。

ヌードを魅せる喜び

「さあ見て」とばかりに両手を広げてポーズを
とる僕。みなぎる自信を感じるヌードです。

官能的で健康美漂う美しいヌードです。

美術ヌードモデルを始めて7年。いや8年目に
突入した僕ですが、女体化してメークしウイッ
グを被った女性的なヌードを披露する時、最初
は、少し恥ずかしいのですが、脱いでしまえば
羞恥心より解放感を強く感じます。

個性を作る服というアイテムを剥ぎ取り、在り
のままの自分を見てもらう時、得も言われぬ高
揚感を覚えます。

ポーズ中は、動かないことに集中しているので
ほぼ無心ですが、人前に自分の裸体を晒してい
るという現実は、解っています。

脱いじゃった・・・でも後悔は、ありません。

お仕事ですし、裸のプロとしての責務。芸術に
身を捧げる崇高な感覚。自己犠牲の精神。
身が引き締まる思いです。

描き手の熱い視線が裸の全身隅々まで降り注ぐ
中でポーズをとる時、その場の主役は、ヌード
モデルです。

丹精込めて育て上げた女体化した官能美を見つ
められるのは、少し恥ずかしいけど、これ以上
ないくらいの注目を浴びて嬉しさを覚えます。

描き手として女性のヌードにエロスと羨望の眼
差しで見つめていた時代、僕は、ヌードモデル
の孤高の美しい姿に憧れを持っていました。

推薦という形でヌードモデルの世界に足を踏み
入れましたけど、羞恥心は、最初だけでポーズ
中は、それも薄れて非現実的な世界に不思議な
感覚がしました。

女体化も極みに達し、理想通りの身体を手に入
れた今では、描き手に観察されるのも慣れてき
て「さあ見て」と、自分に自信が持てる様にな
りました。

嫌と言うほど注目されて観察されるのも見られ
る喜びに変化してきました。

人間ですからもちろん羞恥心は、あります。

でも、それ以上に努力して美しく作り込んだ肉
体を見つめられることは、自己承認欲求を満た
し羞恥心を上回る満足感でいっぱいです。

かと言って、露出狂では、無いので裸を見せた
いというのとは、少し違います。

あくまで「人間本来の自然美」を美しく魅せた
い。そんなところでは、ないでしょうか。

美術ヌードモデルでもブログでも、惜しみなく
裸体を見せている僕。
ヌードデッサンでは、可愛い性器も丸見え。
自分でも思うエッチな肉体。

それを見て喜んでくれる人が居る。

美しい裸体に酔いしれる人たちの存在。

ヌードで人を幸せに出来るのは、ヌードモデル
として最高の喜びです。

まとめ

写真や鏡で見る自分のヌード。そして他人の評
価を含めて自画自賛ですが、僕のヌードは、客
観的に見て美しいと思います。

鏡の前で自分の裸体に発情するくらいですから
僕のヌードを見た人は、エロスを感じずには、
いられません。

そんな官能的で美しい裸体を魅せるのが、僕の
仕事、美術ヌードモデルです。

何も隠さずに全裸を披露する僕の姿に、描き手
は、興味津々。熱い眼差しで観察し描きます。

生の人間の自然美を心行くまで観察できるヌー
ドデッサンは、特別な空間です。

ヌードモデルは、堂々とそして凛とした佇まい
で、美しい裸体を描き手に魅せます。

溢れんばかりのエロス。柔らかな肉欲間。人間
本来の美しさを前に描き手は、ヌードモデルに
畏敬の念を隠せません。

羞恥心を押し殺して脱ぐヌードモデルは、そん
な描き手の気持ちや注目を浴びることで、喜び
を感じずには、いられません。

自分の裸体が、自然の芸術作品。それを鑑賞さ
れるのは、ヌードモデルの喜びです。