男性美術ヌードモデルは、大事な部分が丸見えです

美術ヌードモデルで男の娘の春海です。

美術ヌードモデルは、モデル台の上でオールヌ
ード。まさにスッポンポンになります。

身体の隅々まで全開放。全部見られてしまいま
すので気が抜けません。

そんな美術ヌードモデルの中でも、男性モデル
は、身体の構造上、大事な部分も赤裸々に丸見
えです。

今回は、そんな男性ヌードモデルの心境を語っ
てみたいと思います。

ヌードが出て来るので、不快に思う方と18歳
未満の方は、ご遠慮ください。

美術ヌードモデルは、女性が多い

美術ヌードモデルの多くは、女性です。なぜだ
か男性は、少ない様です。

僕は、多くのヌードモデルを描いてきましたけ
ど男性は、少なかったです。

ほとんど女性のヌードモデルです。

女性のほうが脱ぎたいのか?

まあ、綺麗な内にヌードを残しておきたいとい
う微妙な女心もあるのでしょうけど、不思議な
くらいヌードモデルは、女性です。

僕は、描くなら女性のほうがイイ。

それは、僕が男だからじゃなく、純粋に女性の
ほうが美しいからです。

女性でも女性のヌードが好きな人も居ます。

やはり女性の美しさに惹かれるのでしょう。

男性の場合、筋肉美というものがありますけど
志向は、別れます。それが好きという人も居れ
ば興味が薄い人も居ます。

そして、何といっても男性ヌードモデルの場合
もれなく男性器がセットで付いてきます。

描き手は、モデルが女だろうが男だろうが、容
赦なく隅々まで観察します。なので、男性器も
観察対象に入ります。

これが、恥ずかしくて男性ヌードモデルは、少
ない理由の一つです。

大事な部分を良し悪し関係なくじっくり観察さ
れるのは、恥ずかしいものです。

しかし、女性ヌードモデルのほうが多いのは、
単純に需要と供給です。

求める側も女性のヌードを欲し、脱ぐほうも、
なぜだか女性のほうが脱ぎたガールです。

そして女性の場合、アンダーヘアーで性器が隠
れるので大事な部分を見せないで済みます。
でも、アンダーヘアーが少ないモデルは、アソ
コがチラ見えしてしまいます。

僕の友人の女性ヌードモデルは、僕と同じくア
ンダーヘアーを処理しているので、性器が丸見
えです。

僕も拝見した事がありますが、ドキドキ物。
本当に女性器が丸見えです。

「男性モデルの気持ちが解ったわ。」

と、恥ずかしそうに言っていました。

それは、例外としても、美術ヌードモデルに女
性が多いのは、紛れもない事実です。

男性ヌードモデルは、希少価値です

男性が、ヌードモデルをする時、まず考えるの
は、自分の大事な部分です。

本来なら隠しておきたい御本尊です。

それを美術ヌードモデルをする時は、御開帳し
なくてはいけません。

「どうだ!」と見せられるほど立派で恰好いい
モノならよいのですが、僕みたいに6センチ弱
と小さく、色白でその上有り余った包皮が先端
にクシャクシャと尖った包茎では、見られるの
がとても気になります。

男性で美術ヌードモデルをすると決めた瞬間か
ら性器を隈なく全て見られるのを覚悟する必要
が、あります。

先ほども書いた様に、それこそが男性モデルの
少ない理由です。

中には、見せたいという人も居るけど、そうい
うヌードは、なぜか下品に見えます。

在りのままの姿は、その人の心の内も投影する
ものです。

それでも、男性でヌードモデルをやりたい人は
性器を見られるのを覚悟のうえで、人前で脱い
でいます。

僕も同性のモデルを描いたことが何度かありま
すけど、アソコを観察するとき心の中で申し訳
ないと思いながら有難く描きました。

そして、男性に求められるのは男らしさ。筋肉
の有無です。

だから、日ごろからの鍛錬が欠かせません。
鍛えて摂生しないといけないストイックな日々
を送る必要があります。

僕の場合は、中性的なので、女性モデルの鍛錬
と同じで体幹(インナーマッスル)を鍛えたり
曲線美を活かす脂肪を維持する食事などの注意
をしています。

ストイックさは、男女共にありますけど、男性
のほうが、身体作りは、大変です。誰でも簡単
にダビデ像の様な身体には、なりません。

そして、中性的な身体は、もっと大変です。

もちろん筋肉質じゃない普通体形の男性モデル
も居ますけど少数派です。
こういった人は、人手が足りなくて急遽脱いだ
普通の人だったりします。

少なく貴重な男性ヌードモデルを見かけたら、
感謝の気持ちで描いてあげてください。

中性的な男性ヌードモデルの僕

股間のぼかしが強くて、大事な部分がはっきり
せず女性に見えますけど僕のヌード作品です。

身体のラインやポーズ、そして小さいけど胸の
膨らみと男性としては大き目の乳首や乳輪。
遠目に見れば女性のヌードです。

この様に中性的な身体の僕。

初めて見る描き手は、女性的な身体に小さく色
白でクシュクシュに尖った包茎の男性器を目に
して困惑します。

女性的とはいっても、骨格や肩幅は、男性。
ウエストのくびれがあって身体の脂肪の付き方
は女性的な柔らかい感じ。

描きなれた人ほど、固定概念があるので非常に
描きにくい裸体です。

つまり、よく観察しないと僕をリアルに描けな
いということです。だから隅々まで執拗に観察
されてしまいます。

だから熱い視線が怖いくらいです。

女っぽい男性ヌードモデル。

考えてみれば、不思議なモチーフです。

しかし、古代ギリシャや古代ローマでは、僕み
たいな両性具有な感じの中性的な彫刻がいくつ
も作られています。

完全な創作なのか。それとも僕みたいなヌード
モデルが居たのかは、定かではありませんが、
リアルさからモデルの存在を否定出来ません。

なので、中性的というジャンルが、古代から存
在していたというのが解ります。

男に女性らしさを求める真相は、謎ですけど確
実に言えるのが、中性的な人に対して「美」を
感じていたということです。

たぶん、この頃盛んだった美少年愛の発展バー
ジョンが、中性的な作品の存在価値だったので
はないでしょうか。

美少年に女性を重ね合わせる。
そんな感じじゃないでしょうか。

男性ヌードモデル以上に希少な中性的男性ヌー
ドモデル。
その珍しさから、意外と評価されて仕事も増え
ています。

有難いことですが、必要以上にジッと見つめら
れるのは、ドキドキします。

男性器も芸術?自然美の不思議

あの有名なダビデ像は、大事な部分が丸見えで
すが立派な美術作品として認知されています。

ダビデ像にパンツを履かせろと言った人が居る
そうですが、実にお目出たい脳回路を持つ人物
だと思います。

美術作品のヌードは、人のエロスの描写でもあ
ります。つまり在りのままの姿。
それを否定する人は、人間を否定していると同
時に自分自身さえ否定しているのです。

それは、さて置き、男性器の話しです。

ダビデは、ユダヤ教なので、本来なら割礼され
てカメさんが丸見えなはずなのですが、小さく
てしかも包茎です。

よく探してみたのですが、美術作品では、男性
器は、ほとんど包茎に表現されています。
それも、みんなサイズが小さい。

大人の男性器を誇張した石作の置物や焼き物が
存在するのに不思議です。

古代ギリシャでは、男性器は、包茎で小さいほ
ど良いとされていたそうです。
余った包皮の先端を革紐で縛っていたという話
もあるくらい包茎は人気でした。

むっ。じゃあ、僕のは、良いモノ。

嬉し恥ずかしです。

男性器は、よく観察すると、機能美に溢れた形
状をしています。
全ては、女性を喜ばせて子孫を残すための無駄
のない形状になっています。

僕の場合、包皮で覆われて隠れていますけど、
めくると女性を喜ばすエラの張った先端部が
あります。

この形状は独特で、エロティックな感じです。
僕のは、桜色で綺麗で可愛い感じです。

そして精子を生み出す睾丸(こうがん・タマタ
マのこと)を収納する袋状の部分は、温度差で
伸び縮みして収縮時は、中央から左右対称に別
れた絶妙な模様が出現します。

寒いとギュッとなり、熱いと伸びる合理的なシ
ステムです。

そして何より男性器は大きく硬く変化します。

僕は、大きくなっても8センチ弱と可愛いサイ
ズで先端は包皮で覆われています。

全て自然のなせる業。神秘的です。
自然の芸術作品です。

普段と、性的に興奮した時で形状が変わるのも
昔の人は神秘的に思っていたことでしょう。

だから昔は、洋の東西を問わず男性器の模造品
が作製されました。日本では、大きな石作りの
金精様が有名です。
そそり立った大きなモノが子孫繁栄のシンボル
として崇められていました。

因みに日本の民族宗教では、逆の女性器の作り
物も存在します。

名前や場所は、忘れたのですが、男性器や女性
器の巨大な神輿で練り歩く祭りがあります。

つまり、男女共に卑しい物では、ありません。

古代には、男性器も立派な美術作品。
それも包茎です。

僕も、古代に生まれていたら美術品の制作に人
気だったかもしれません。

性器を見られるのは、恥ずかしいです

秘部。または、恥部。

何とも言えない響きです。

性器は、人知れずひっそりと存在しています。

表立って他人に見せる物では、ありません。
せいぜい、奥さんや旦那さんにしか見せない特
別な部分です。

入浴設備では、見ることが出来るけど、ジッと
見ることは、ありません。

しかし、他人の性器をじっくり見られる機会が
あります。

ヌードデッサンです。

ここでは、他人の性器をジックリ観察すること
が出来ます。

裸の大部分が許容されている男性でも、唯一隠
す部分をオープンにする。

それは、勇気のいる行動です。

立派な人は、いいとしても、僕みたいに小さく
包茎の人は、何とも言えない気分です。

男性の場合、脱げば嫌でも見られる性器。

初めてヌードになった時は、羞恥心マックス。
脱ぐのに慣れた今でもやはり恥ずかしいです。

だって、すごく観察されるんですよ。
特に女性。好奇心いっぱいに観察します。

ポーズに集中していても、見ているのは、手に
取る様に判ります。

でも、その羞恥心が芸術に色を添えます。

人間は、裸になる、ましてや性器を丸出しにす
るのは、恥ずかしいものです。

ヌードは、そんな生々しい人間模様を赤裸々に
表します。

そしてヌードデッサンは、モデルの全てを克明
に描いていきます。

美術ヌードモデルは、裸のプロですが、頑張っ
て脱いでいるのが健気な感じです。

まとめ

美術ヌードモデルは、何も隠さないで自分の在
りのままの姿を描き手に提供します。

そこには、男性なら当然性器も含まれます。

だから、男性ヌードモデルは、相当の覚悟が要
求されます。

ただ脱いでるだけじゃん。
と、思う人も居るとおもいますけど、モデルだ
って人間です。当然、羞恥心もあります。

その羞恥心を克服して、素敵なヌードを魅せた
時に、在りのままの姿を賞賛されて自己承認欲
求がみたされます。

貴重な男性ヌードモデル。そしてそれ以上に希
少な中性的な男性ヌードモデル。

デッサン会場でそんなモデルを見かけたら、勇
気を出して見せている性器も、適当に描かずに
よく観察して描写してあげてください。