美術ヌードモデルは、大変なお仕事です

美術ヌードモデルで男の娘の春海です。

今回は、美術ヌードモデルを知らない人のため
に、どんなお仕事なのかを克明に書いていきた
いと思います。

人前で裸になるのだから、さぞ特殊な仕事だと
想像すると思います。

では、描かれる側と描く側の視点から美術ヌー
ドモデルについて迫りたいと思います。

ヌードが出て来るので、不快に思う方と18歳
未満の方はご遠慮ください。

なぜヌードデッサンをするのか

女性のヌード?

いえ、これは、女体化した僕です。
小さいけどAカップまで成長した胸の膨らみが
女性的な雰囲気を醸し出します。乳首もまるで
女性みたいです。

でも、手で隠した部分には、ちゃんと小さな色
白で包茎の男性器が有ります。

顔は、メークをした男の娘バージョンです。
とても男性ヌードモデルには、見えません。

ヌードデッサン。

何とも言えない響きの言葉です。

経験の無い人なら「ヌード」というワードだけ
でエロティックな感じを受け取ります。

芸術の世界では、そんなエロス漂うヌードも立
派なモチーフのひとつです。

美術作品には、多くの裸婦画や裸の彫刻が溢れ
るほど存在します。
つまり人のヌードは、芸術界ならそんなに珍し
い物では、ありません。

なぜ人のヌードを描くのか?

それは、在りのままの自然な人間の姿が美しい
からです。

また、人の裸を描くことで自然科学を学ぶとい
う側面もあります。

でも、なんでヌードなの?

着衣モデルというのもあります。しかし、それ
は、服が主題になってしまいます。人間本来の
姿を描くなら「裸」が一番です。

人の裸を描くのは、意外と大変です。

全てが曲線で構成されていて、生きた人間なら
微妙なゆらぎもあります。
生々しい肉体の質感を上手に描写するには、鋭
い観察力が必要になります。

しかし、なんといっても人のヌードを描く理由
は、その自然美です。

ヌード美しさ。生命力。エロス。羞恥心。
それらが混然一体となって、妖艶な魅力を醸し
出します。

人間を描くのを学ぶなら「裸」がベストです。

古代ギリシャや古代ローマの時代は、ヌードの
作品が多く生み出されました。そのどれもが美
しい佇まいです。

やがて、中世になると世界最大の宗教の影響で
人間をリアルに描くことが禁じられて平坦な稚
拙な描写になります。

美術の暗黒時代です。

自然科学を認めない風潮は、長く続き、そして
ルネサンス時代へ。再び美術もリアルな描写へ
と目覚ましく発展していきます。

ルネサンスは、非科学的な宗教への反発が原動
力だったのです。

その中で、多くの裸の彫刻や絵画が作製された
のは、人間本来の「美」の探求心です。

有名なダビデ像が制作されたのもこの頃です。

その中には、クライアントの要望で作製された
エロスを目的とした作品も少なくありません。

芸術作品には、現代のグラビア写真や、ヌード
写真集、そしてAVの要素もありました。

裸の需要は、今も昔も変わりありません。
裸の本質はエロスです。エッチに感じるのは、
ごく自然な健全な見方です。

古代ギリシャでは、エロスは「真」「善」「美」
だと考えられていて崇高なものでした。

だからヌード作品が多く生み出されました。
ルネサンスは、その復興です。それが、現代ま
で脈々と続いています。

そこで、裸になるヌードモデルが必要になって
きます。

誰かが脱がなければヌード作品は、生まれませ
んので、ヌードモデルは、重要な役割を果たし
ています。

日々、どこかで行われているヌードデッサン。
閉鎖された空間での行いではありますけど、中
世の美術暗黒時代に比べれば、ヌードは、あり
ふれたものになりました。

美術ヌードモデルは、人間本来の自然美を観察
させる芸術世界のアイドルです。

大勢の人前で脱ぐ心意気

ヌードデッサンをするためには、誰かが服を全
て脱いで裸になる必要があります。

アダムとイブの事件以来、人は、性器を隠し服
を着て裸を見せない様になりました。
(とある宗教の話での例えですけどね)

まあ、とにかく人は、日常的に服を着て人前で
裸を見せなくなります。

なので人前で裸になるには、勇気が必要です。

美術ヌードモデルは、大勢の人前で赤裸々に裸
の姿を晒します。その姿は、凛として堂々とし
たものです。大胆さも感じます。

裸のモデルさんを観察していると、何事もなか
ったかのように自然体で全裸でポーズをとって
います。

在りのままの姿を隅々までジックリと観察。男
性モデルなら大事な部分もしっかり観察されて
しまいます。

中には、しばらく裸体を観察して脳に焼き付け
てから描き始める人も居ます。

僕のように珍しい中性的な身体だと、その注目
度も異常に高く、じっくりと眺められます。

描くためには、良く観察する必要があります。
描くのに必死なので、感情は薄いのですが、裸
のモデルさんに対して申し訳ない感じが少しだ
けよぎります。

他人の裸を隅々まで緻密に観察するというのは
ヌードデッサンの特色です。

匂い立つほどに生命力溢れエロティックな姿に
圧倒されてしまいます。

さて、描かれる美術ヌードモデルのほうは、ど
うでしょうか。

人前に秘めたるヌードを全開にして、さぞかし
恥ずかしいのでは、と思いますよね。

美術ヌードモデルの多くは、描く側も経験して
います。自分が他人の裸を観察していた経験か
ら、逆の立場になることへの抵抗感は、なので
しょうか。

僕を含め、多くの美術ヌードモデルは、描いて
いた時に、モデルに感情移入しています。
つまり、自分が裸になったらどうなるのか。

実は、恥ずかしさ以上に興味が先立ちます。
自分なら羞恥心に耐えてポーズを取れるかどう
か。堂々と裸で振舞えるだろうか。

やってみたい。
密かにそんな淡い欲望が芽生えます。

裸になりたいという訳じゃなくて、ヌードモデ
ルという特別な存在への憧れ。

美術ヌードモデルの動機は、そんなところじゃ
ないでしょうか。
確かに時給が高いのも動機の一つですが、それ
だけで大勢の人前に裸は、晒せません。

考えてみてください。ヌードデッサンの参加費
は、3~4千円です。高くても5千円。たった
それだけで他人の裸を長時間じっくり眺められ
るのです。安いものです。

それを考慮すると、美術ヌードモデルをやりた
い人は、見せたいという気持ちだけでは、脱げ
ないはずです。裸を安売りしたくない。

自分の裸体に自信を持っていて脱いでいるモデ
ルさんもいますけど、多くは、エッこの人が人
前で裸になるの?というくらい普通の人です。

脱ぎたくて裸になっている訳じゃないのです。

あくまで、芸術のために身を捧げたい。そんな
崇高な気持ちと好奇心。それが、羞恥心を乗り
越えて人前で脱げる理由です。

そしてイザ脱いだ時の気分。

湧き上がる羞恥心と、みんなに注目を浴びる特
別な存在になった満足感。

誰もが簡単に出来ない事をしているという感覚
は、自分が主役になった気持ちになります。

芸術のためにヌードになった。

それは、羞恥心を超えて自己承認欲求を満たし
ていきます。

意外と羞恥心希薄。動かないって大変

僕が、初めて美術ヌードモデルをすることにな
った時は、数日前から、さぞ恥ずかしいだろう
なあとソワソワしていました。

しかし、実際にヌードモデルをする段階になる
と、脱ぐ直前と直後に、とてつもなく羞恥心が
湧いてきたのですが、一糸まとわぬ姿でモデル
台に上がってポーズを取り始めると、気にして
いた恥ずかしさは、薄れていきます。

全身隅々まで空気感を感じ、ああ裸なんだと、
実感し、全身に浴びる熱い眼差しに圧倒されて
得も言われぬ感覚になってきます。

最初は、出来るだけ自然で楽なポーズを選択し
たのですが、デッサンが始まって、ものの数分
でジッと動かないことの難しさを知りました。

人って、黙っていても様々な「ゆらぎ」があり
ます。そして生きているので息遣いや鼓動が伴
います。

特に気になったのが息遣い。

ポーズを固定するために身体を動かさない様に
すると呼吸が苦しくなってきます。

視線を固定して、ただひたすら動かないことに
集中します。

人間、動かないのって意外と大変です。
想像以上の集中力が要ります。
脚や腕が痛くなっても身動きひとつとれません
ので我慢、我慢です。

もう、羞恥心どころじゃない。

それでも、描き手の視線は、イヤというほど自
然に感じ取れます。

見られている。見られている。

全身くまなく執拗に観察されている中で、僕は
全裸です。しかも動けない。

これが20分。長い、長い。
でも、ジッと我慢していると、あっという間な
のが不思議です。

休憩でガウンを着ると、今まで裸だったことに
気づかされて急に恥ずかしくなります。

10分の休憩は、長い様で短いです。
再び、全裸になってポーズを取ります。

大変なのは、細密デッサンで同じポーズを取る
時です。あまり難しいポーズを選ぶと、2度目
3度目と同じポーズを取るのに苦労します。

それでも健気に全裸を披露します。

慣れてきた今では、ポーズの安定感やレパート
リーも増えて、より良いヌードを魅せる余裕も
出てきましたけど、初めのころは、ぎこちなく
羞恥心も今より高めでした。

今でも、羞恥心は、完全に消せませんし、淡い
羞恥心をまとったほうが人間らしいので敢えて
薄っすらと残しています。

しかし、一度ポーズに入ってしまうと、プロ根
性で堂々と凛とした姿になり、集中することで
羞恥心は希薄になってしまいます。

それだけ動かないというのは、大変なんです。

自分の在りのままの姿で勝負

人は、服装などで個性を出します。
真面目そうな服装、自己主張が強そうな服装。
清楚で可憐なイメージ。ワイルドな印象。
着る服によって、その人の個性が現れます。

しかし、美術ヌードモデルは、服という個性を
表すアイテムがありません。

スッポンポンの在りのままの姿です。

でも、不思議なもので、人間も動物と一緒で、
脱いでも個性があります。

痩せた身体、僕の様に、ちょっとポッチャリ体
形の人。グラマラスな豊満な身体の人。
胸が大きい人も居れば、僕のように小さい膨ら
みの人も居ます。

乳首の形や大きさ、色も千差万別です。

僕は、男らしさゼロで女性的ですが、男性モデ
ルなら筋骨隆々とした人、普通体形の人。
そして大事な部分も、大きい人、僕みたいに小
さくて色白で包茎の人と様々です。

と、裸と一口に言っても個人差は、あります。

その人の持つ究極の個性です。
人だけが持つエロスも丸見えになります。
そして、裸は、その人のオーラを放ちます。
性格や、その時の気分まで、フルオープンにな
る気がします。

まさに在りのまま。

僕の全てが観察されるような感触。
それが、裸です。

美術ヌードモデルは、そんな状況で人前に人間
の自然美や自分のエロスを表現します。

裸体は、自然の芸術作品です。

美術ヌードモデルは、脱ぐという行為によって
生きた作品に生まれ変わります。

描き手は、それを写し取る作業に追われます。
しかし、完成された自然美の作品には、なかな
か及びません。
それだけ人のヌードを描くのは難しいのです。

もう自然美に敵うものは、ありません。

ただ脱ぐという(勇気はいるけど)行為で完成
した作品になれるなんて、美術ヌードモデル最
強です。

人前で裸になるモデルが下で、描く側が上の様
な感じがしますが、実際は、真逆です。

羞恥心を克服した先には、完璧な美術作品であ
るヌードが輝いています。

そんなことを描き手から聞いてからは、自分の
ヌードにも自信が付いてきました。

そうか、脱ぐというのは、生きた美術作品にな
るということだったのか。

今では、人前で脱ぐ行為も在りのままの自分と
いう作品の展示だと思っています。

しかし、美しいヌードを維持するためには、日
々の自己管理と鍛錬、そして身体のメンテナン
スと、色々と取り組む必要があります。

なにせ裸は、誤魔化しが効かないので一発勝負
です。

ポーズも基本的にモデル任せなので、良いヌー
ドを見せるのは、真剣勝負なんです。

しれっと脱いでいるように見える美術ヌードモ
デルですが、見えないところで心身共に気を使
っていることを知ってもらえば幸いです。

まとめ

大勢の人前で裸になる。

それは、恥ずかしく弱気になります。

しかし、美術ヌードモデルは、それを堂々と、
悠然とこなします。まるで、自分が全裸だとい
うのを忘れたかのような振る舞いです。

でも、美術ヌードモデルの生きた人間です。
裸を見られるのは恥ずかしいし、ジッとポーズ
を固定するのも忍耐が必要です。

それに見えないところで心身共に気を使い美し
いヌードを維持する努力も惜しみません。

ただ脱いでいるだけじゃないんですよ。

みなさんがヌードデッサンをする機会があった
ら、そんな美術ヌードモデルの苦労に思いをは
せて観察してみてください。

モデルの裸が、一層貴重で特別なものになると
思います。