美術ヌードモデルのプライド
美術ヌードモデルで男の娘の春海です。
僕は、今紹介したように美術ヌードモデルをし
ています。
主にデッサン会などで美術ヌードモデルをして
いるのですが、たまに写真のモデルもします。
言葉の通りヌードモデルは、上から下まで服を
全て脱いだスッポンポンです。
さぞ恥ずかしい思いをしているのでは、と思い
ますよね。そして、よく人前で全裸になれると
感じるのでは、ないでしょうか。
そんなヌードモデルにもプライドがあります。
そこのところを掘り下げてみたいと思います。
ヌードが出て来るのですが、であくまで芸術と
して捉えてください。
あくまでヌードを芸術だと思える人か、ヌード
モデルに興味のある人だけお読みください。
美術ヌードモデルというお仕事
美術ヌードモデルは、芸術活動には、欠かせな
い存在です。
人間の美を究極にまで洗練するとヌードにたど
り着きます。
古代からそうしたヌード作品が、芸術世界には
溢れています。
その自然美の姿を描くまたは、人間を観察する
ためには、誰かが全裸にならなければいけませ
ん。そのために特化したのが美術ヌードモデル
です。
また、人体の構造を学ぶために服というアイテ
ムを取り去った状態とも言えます。
ヌードデッサンやヌードの作品モデルは、当然
裸にならなければいけません。
僕は、そんなヌードモデルの一人です。
週に4~5回ほど、どこかのアトリエや個人宅
やデッサン会場で美術ヌードモデルを務めてい
ます。
こじんまりとした2~30人のヌードデッサン会
がメインですが、時には、40人近い人の熱い
視線の中で脱ぐこともあります。
全裸ですから僕の様に男性だと性器も丸出し。
色白で6センチ程度の小さく先の尖った包茎の
可愛いアレが、白日の下に晒されます。
因みに僕は、アンダーヘアーを全処理している
ので、股間がより注目されます。
女性でも僕のモデル友達は、アンダーヘアーを
処理したので女性器が丸見え「男性モデルの気
持ちが解ったわ」と言っています。
男女問わず、性器を見られるのって、とっても
恥ずかしいです。
そして男性なのに女体化しているのでオッパイ
の膨らみと乳首や乳輪の大きさに「えっ」と二
度見されます。
その状態で身体の隅々まで丹念に観察されてし
まいます。
油絵なんかだと1週間近く毎日の様に裸を観察
されることもあります。
僕は、細密デッサンが多いので、細部まで緻密
に観察されます。それは、くすぐったい感じが
するくらい見つめられます。
恥ずかしくないですか?
はい、恥ずかしいです。
でも、モデルとして脱ぐと決めた以上は、覚悟
もありますし、ポーズを真剣にとってしまえば
羞恥心も上の空です。
着ていたガウンをバッと脱いでモデル台に上が
りポーズを取るまでの僅かな時間、羞恥心が湧
いてきます。
これは、いくら覚悟していても羞恥心を無には
出来ません。
でも、不思議なことに、ポーズをとっている間
は、全身の隅々まで神経を使って「動かない」
ことに集中しているので、恥ずかしかった気持
ちがどこかに行ってしまいます。
そのくらい人間って「動かない」のが大変!
不動の姿勢に見えて、呼吸は、してますし心臓
も動いています。微妙なゆらぎは、生きている
人間のリアルさです。
そこを敢えてジッと、こらえて動きを最小限に
留めてポーズをとるのは、並大抵のことでは、
ありません。
禅のように呼吸を静かに整えて、無心になる。
すると、恥ずかしさは、和らぎます。そして僕
の全てを見てくださいという気持ちになってき
ます。
そんな心構えで美術ヌードモデルを実践してい
ます。
芸術に身を捧げている荘厳な気分です。
ただ裸になっている訳じゃないんですよ。
他人から裸を観察される醍醐味
手で、股間を隠しているので性別不詳ですが、
僕がヌードモデルをした作品です。
我ながら、しなやかで美しいプロポーションだ
と思えます。
絶妙なオッパイの膨らみと乳首。曲線的な身体
の肉付きと脚線美。とっても女性的です。
メークしてショートカットのウイッグを被って
のモデルなので、手で股間を隠すとオッパイの
存在感から女性に見えてしまいます。
人目に触れる作品になるためには、こうした小
細工が必要になります。
それ以外の芸術活動では、このように手で股間
を隠したりしません。
表ざたには出来ませんが、性器もリアルに描写
した作品もあります。芸術作品としてアトリエ
に飾ってあります。(後ほど、そのうちの一枚
を掲載します。)
それで客観的に自分のヌードを見ることができ
るのですが、ちょっと恥ずかしい。だって、性
器がリアルに描かれているんですよ。
と、後から作品や写真で見ると照れくさい感じ
ですが、ヌードモデルをしている時は、生で僕
の生身の身体の全てを思う存分、隅々まで観察
されています。
初めてヌードモデルをした時は、ポーズを維持
するために動かなない事に夢中になり、ポーズ
中は、意外と恥ずかしくなかったのが、凄く印
象的でした。
全裸という在りのままの僕を見せているという
事実は、肌感で解るのですが、一生懸命にジッ
と動かないでいると脱ぐ瞬間の堪らない羞恥心
が、どこかに行っちゃいます。
ヌードモデルをして約7年。人前で裸になるの
も慣れてきた今。羞恥心は、ゼロでは、ありま
せんけど自分でも堂々と脱ぐことが出来る様に
なってきました。
どちらかというと目立つのは好きじゃなかった
僕が、今では、淡々と人前でガウンを脱ぎ裸に
なる。自分でも信じられない感じです。
ヌードモデルをしてから普段から僕は、裸族生
活をしているので、暇さえあれば大きな姿見の
前でポージングの練習をします。
描き手に、より良い裸体モチーフを提供出来る
様に日々精進しています。
慣れって、怖いもので、あれだけ恥ずかしかっ
たヌードモデルも今では、自信を持って裸にな
ることが出来ます。
掲載した作品の通り、僕は、かなり女性的で中
性的な風変わりな男性ヌードモデルです。
そのためか、描き手の僕を観察する視線の熱い
ことは、この上ありません。珍しさも手伝って
僕の身体を鋭く観察してきます。
僕は、自分の裸体を注目されて気分は、上々で
す。磨き上げ育ててきた中性的な魅力をじっく
りと観察されるのは、モデル冥利に尽きます。
せっかく羞恥心を押し殺して裸になっているか
ら、細部までよく観察してほしい。そう思って
優雅にポーズをとります。
人前で裸になるのは、誰もが簡単には、出来ま
せん。それも注視の中で脱ぐ。これは、ヌード
モデルの特権といえます。
そして、これほど自分が注目されるというのも
ヌードモデルならではのことです。
着衣モデルも注目されますけど、ヌードは、そ
の比ではありません。
裸体に自信が無ければ脱げませんし、ポーズを
とるのも技術が必要です。そして、大勢に裸を
見られても動じないメンタルも必要です。
自分の赤裸々な姿を全て曝け出すのは、とても
勇気がいることです。
ヌードモデルは、それを見た目には、平然とこ
なしています。
描き手は、そんなヌードモデルの生身の裸をつ
ぶさに観察して描かなければいけません。
それは、意外と大変です。描画能力も必要です
けど、生きた芸術作品である肉体を二次元に描
き出す難しさに、堂々とポーズをとっているモ
デルへの畏敬の念を隠せません。
時間との勝負の中で、より忠実にヌードモデル
を描くのは、芸術の鍛錬です。
そして、描いてみて解るのは、ただ脱いでいる
だけの(色々と大変ですが)ヌードモデルの圧
倒的な肉体の存在感には、追いつけない口惜し
さが湧き上がります。
脱ぐという行為で、最高の芸術作品になれるヌ
ードモデル。
羞恥心と引き換えに自然美を存分に余すことな
く魅せることが出来る。それが、ヌードモデル
の醍醐味と言えるのではないでしょうか。
ヌードモデルは、裸を見せたいのか
ヌードデッサンに参加すると、ヌードモデルは
平然と当たり前の様に裸になります。
その姿に、有難さを感じる描き手がいる一方で
ヌードモデルだから裸になるのは、当たり前と
感じる描き手もいらっしゃいます。
ヌードモデルをするくらいだから、裸体に自信
があって、脱ぎたいんだろう。そう思う人も少
なくありません。
中には、自慢の美貌を見せたい気持ちで脱いで
いるモデルさんも居ますけど、ほとんどのモデ
ルさんは、初めての時は、自信がなくドキドキ
しながら脱いでいます。
その一方で、脱いだらどんな気持ちだろうとい
う好奇心も持っています。
僕の場合、いつも描いているアトリエのオーナ
ーに勧められて脱いだのですが、中性的で男ら
しくない身体で、その上短小包茎です。当然見
せるのに躊躇いがありました。
なので当初は、裸を人に見せたくて脱いだ訳じ
ゃありません。
それでも脱ぐ決意をしたのは、今まで描いてき
たヌードモデルさんの堂々とした佇まいに憧れ
と好奇心が動かされたからです。
でも、脱いでみて裸を見せると、その中性的な
身体や色白で包茎の小さな性器までギリシャ彫
刻みたいで綺麗だと褒められました。
生まれたままの姿を褒められて正直嬉しく思い
ました。勇気を出してヌードになった甲斐があ
ったと感動しました。
もっと綺麗になりたい!
僕は、アンダーヘアーも全て処理して、彫刻の
ような綺麗な身体を作り込みます。
中性的な容姿を褒められて、僕は、サプリを飲
んで女体化を進めました。オッパイは、膨らみ
乳首も大きくなり、身体の肉付きも女性みたい
に丸みを帯びた柔らかな曲線美になりました。
女体化する途上で僕は、女友達の影響で女装に
も目覚めてメークをする様になりました。
僕のような中性的な容姿は、滅多に居ません。
なので、ギリシャ神話の両性具有の神ヘルマプ
ロディートスの生きたリアル版として評価され
ました。
美術ヌードモデルも回数をこなすうちに慣れて
きて、羞恥心は、消せませんが堂々とポーズを
取れる様になってきました。
そのころになると、裸を見せる行為にも余裕が
出てきて描き手の良い反響と共に見られるのが
嬉しく思える様になりました。
初めてヌードモデルとして裸になったあの情け
ないような心細い様な気持ちは、小さくなって
頑張って作り込んだ美しいヌードを披露できる
喜びみたいのを感じる様になりました。
在りのままの自分を見られるのは、羞恥心もあ
りますけど自分の勇気を褒め称える自己肯定感
も滲み出てきます。
でも自分の全てを赤裸々に見られている!
その見られる感覚は、他の追従を許しません。
大勢の描き手の圧倒的なまでの熱い視線が全身
に降り注ぎます。
ヌードモデルは、肉体という自然美。天然の芸
術作品を嫌と言うほど観察されます。
その為にヌードモデルは、体形や肌のメンテ、
ポーズを維持するための体幹を鍛えるトレーニ
ング。ポージングの練習に余念がありません。
そして色白な綺麗な肌を維持するための日焼け
止め対策も徹底しています。
そうした隠れた日々の努力と自分に備わった持
ち前の芸術性、自然美を見てもらいたい。
当たり前の様に人前で裸になるヌードモデルで
すが、半分は、仕事のために脱いでいるけども
半分は、自分の裸を見せたい気持ちがある。
ヌードモデルの経験を積み重ねるたびに見られ
る喜びを感じます。
それは、見る側の満足感に比例します。
見せたいというよりは、魅せたい。
そんなところじゃないでしょうか。
自分に自信を持てるヌードモデル
ヌードモデルは、自分の身体一本で勝負です。
着飾るものは何もなく、正真正銘全裸の生まれ
たままの姿を観察されるお仕事。
一番隠したい大事な部分も丸見えです。
仕事で脱いでいるとはいえ、やはり恥ずかしい
気持ちは、あります。
芸術の為に脱ぐ。そんな自己犠牲的な精神が無
ければ到底耐えられるものではありません。
描き手は、モチーフであるヌードモデルを隅々
まで観察してきます。
顔、身体、手足、オッパイ、乳首、そして性器
まで忠実に描き出していきます。
人間の身体の構造、芸術性を学ぶために描き手
は、ヌードモデルに容赦ない視線を送ります。
ヌードモデルは、そうした熱い視線に耐えなが
ら、ひたすらポーズを維持します。
ヌードデッサンやヌード作品には、全裸のヌー
ドモデルは、欠かせない存在です。
僕は、元々は、描く側だったのですが、全裸で
堂々とポーズをとるヌードモデルに畏敬の念を
持っていました。
恥ずかしくないのかな?見ていいんだよね。
自問自答しながらヌードモデルの裸体をつぶさ
に観察したものです。そして、脱いでくれたモ
デルに感謝の気持ちがありました。
それが今では、自分がヌードモデルです。
僕のヌードを見て、どう思うか、とても気にな
るところです。
ヌードモデルを終えた時に「ごくろうさま」
「有難うございました」という労いの言葉に合
わせて「とても綺麗な身体でした」「ギリシャ
彫刻みたいです」「中性的で美しかったです」
などと褒められると、嬉しく思えます。
丹精込めて育てた女体化した身体を美しいと褒
められると自信がついてきます。
多くの場合、ヌードモデルは、羞恥心と引き換
えに在りのままの自分を称えられて自尊心がく
すぐられます。
ただ、裸になってジッとしていただけですけど
描く側の満足感を感じた時、ああヌードモデル
をして良かったと思います。
人前で全裸になる。
芸術世界じゃ当たり前の光景ですけど、その非
日常性と特殊性は、ヌードモデルならではの物
です。
誰もが簡単には出来ない事を成し遂げた達成感
は、計り知れないものがあります。
自分の裸が、芸術に貢献できた。そして裸を有
難く思われ褒められる。
出来上がった作品を見て、我ながらに美しいと
思えます。
なんの装飾もない素の自分を褒められると自信
がつきます。
そして在りのままの自分をさらけ出した勇気を
自分自ら褒めてあげたい気分になります。
ヌードモデルとエロス
ガウン1枚の下は、全裸のヌードモデル。
僕のガウン姿をイラスト化してもらいました。
美術ヌードモデルが今まさにオールヌードにな
る緊迫感ある作品です。
このガウンは、ヌードモデルの唯一の仕事着。
これがあるかないかだと全然違います。
休憩時にガウンを羽織るとホッとします。
と、同時時に今まで裸だったんだという感覚が
羞恥心を呼び起こします。
描くほうも、ガウンで裸体を遮られることで目
のやり場に困らなくなります。
それだけ「裸」の存在感は、強いものです。
見る側も「見ていいんだよね」と躊躇するくら
いヌードモデルの赤裸々な姿は、印象的。見て
赤面する人も居るくらいです。
僕も、堂々と脱いでいるモデルさんの身体を見
つめて自分だったらどうかと、感情移入して描
きながら恥ずかしかった記憶があります。
描くのに夢中でエロティックな気分に浸る余裕
は、ありませんが、モデルさんの色香が強烈だ
ったのを覚えています。
ガウンを脱ぐ前は、可愛い女の子だなと思って
いたのが、脱いだ瞬間から匂うほどエッチな姿
になってしまう。思わず目のやり場に困る感じ
です。
人間は、脱ぐとエロスが溢れ出します。
僕も、ヌードモデルで脱いでいる時は、描き手
に僕のエロスを見られています。
服を着ていれば、清純そう、真面目そう、可憐
と言われます(女装の場合)が、脱ぐとエッチ
な雰囲気になります。
脱ぐという行為は、そうしたエロスも見られて
いるということです。
現に、僕のブログを見てヌード写真や作品を見
て興奮して、一人エッチしたという読者の感想
もたくさん有ります。
ボカシ有りの写真や作品でさえオカズになる。
それなら、ヌードデッサンでボカシ無しの生身
の身体を見られたら・・・
僕のヌードがお役に手てて嬉しいと返信します
けど、ちょっと恥ずかしい様な複雑な心境にな
ります。ちょっぴりAV女優気分です。
「裸は、エロスの表現だよ」と、よく僕を描く
人に言われたことがあります。僕のエロスは、
両性具有で中性的。何とも言えない独特の魅力
があるそうです。
芸術のためと聞けばヌードモデルは、崇高なも
のになりますけど、その実態は、エロスです。
エロスは、官能愛、性衝動(リビドー)といわ
れています。
古代ギリシャの哲学者プラトンによれば、イデ
ア論では、イデア的な美と究極性を主体が切望
することと説明しています。
イデアとは「見る」に由来します。
そしてエロスは、愛の一つでもあります。
人の裸体には、そうした観念を見る者に強烈に
与えます。他人の裸を見て性欲を感じ愛を感じ
るのは、決して変な事では、ありません。
特に男性ヌードモデルの場合、性器が丸見え。
これでエロスが溢れ出てこない訳がない。
僕の6センチ弱で色白で先の尖った小さな可愛
い包茎男性器だってエロスを放っています。
そして、僕の場合、女体化で膨らんだBカップ
ほどの乳房にコーラルピンクの男性としては、
大きい乳首や乳輪が色気を醸し出しています。
性器は、秘部とも言い隠された存在です。
美術ヌードモデルは、その秘部さえ在りのまま
に人前に晒します。
ヌード作品は、多く存在しますけど、芸術とは
いえ、実際は、依頼者の性欲や性癖を満たす表
現手段なのが現実です。
そしてエロスも自然美でございます。
ヌードデッサンやヌード作品を描く或いは撮影
する人は、芸術性と同時に僕のエロスに興味が
ある。それは、人間の自然な衝動です。
美しいヌードに興奮するのも自然の成せる業で
す。それは、健康的なものです。
それを理解したうえで人前で全裸になると、感
慨深いものになります。
ヌードモデルのプライド
エロース降臨という僕をモデルにした作品。
エロースは、古代ギリシャの性愛の神です。
霧のかかった深い森の中で、色白な中性的な裸
体が、溢れんばかりの生命力と神々しさを体現
しています。
女性的な美しさと、可愛い色白の小さな包茎の
男性器が、神秘的な感じです。
広げた白い翼が、開放的で自由な感じを演出し
ています。
ここでは、股間にボカシをかけていますけど、
作品では、性器もリアルに描写されています。
自由に裸で羽ばたく。
まさにヌードモデルの気持ちを表しています。
ヌードモデルは、ポーズという動けない制約以
外は、開放的で自由です。全裸と言うこれ以上
無い解放感は、体験してみないと分かりにくい
けど気持ちの良いものです。
羞恥心は、ゼロでは、ありませんけど自分の在
りのままの姿を披露することは、日常生活の束
縛から解放された自由がそこにあります。
人は、誰しも服の印象に操作されています。
服装で、真面目そう、チャラそうとか他人の目
から見えた自分を気にしています。
それが裸になると、その人の持つ自然の姿のみ
が見えてきます。
ところが面白いもので裸にも個性があります。
男性なら筋肉質だとストイックな性格なのかな
とか、女性なら肉欲的なボディーから愛情豊か
な感じとか、中性的な裸体なら可憐さを感じた
りと、その人の本来の姿が見えてきます。
裸は、まさにその人を赤裸々に表現します。
それを見せるのがヌードモデルです。
ヌードモデルは、誰もが簡単に出来ないお仕事
です。
そこに誇りやメンタル面の自尊心。自分のヌー
ドに自信を持つ自負心があります。
芸術に全てを捧げる自己犠牲の精神も宿ってい
ます。誰もが、出来ないことをやり遂げること
で自己承認欲求を満たされます。
ヌードモデルと描き手の立ち位置は、描き手が
優位だと思われがちですけど、主役は、裸にな
っているヌードモデルです。
実際に、ヌードデッサンでは、ポーズを要求さ
れることもありますけど、大半がヌードモデル
主体で進行します。
さあ、私の裸体を描いてごらんなさい。
そんな感じで、描き手は、実は、従なんです。
良く観察して人間の自然美を表現しなさい。
ヌードモデルは、羞恥心と引き換えに日常生活
では、決して味わうことのない充足感に満たさ
れます。
性器も含めてすべてを見られるヌードモデル。
ヌードデッサンを体験したことの無い人には、
分かりにくいですけど、描く側は、ヌードモデ
ルの崇高で、孤高のプライドを感じずにはいら
れません。
人前で脱ぐというと、プライドをかなぐり捨て
て恥ずかしい思いをしていると感じますけど、
当の本人は、プライドを持って脱いでいます。
裸のプロとしての使命感に燃えている感じ。
僕は、ヌードモデルをして良かったと思ってい
ます。
回数を重ねるごとに、貴重な体験をさせてもら
っているという感謝の気持ちと、素の自分を褒
めてもらえる嬉しさ。
プライドとは、自分で自分をどう思うかです。
僕は、磨き育てた自分の裸体、生まれ持っての
中性的な身体に今では、自信を持っています。
そして、誰もが簡単に出来ない仕事をこなして
いるという事に誇りを持っています。
自分で言うのもなんですが、美しい肉体を堂々
と披露できる喜びと自負心が、脱いで良かった
と、ほんのり羞恥心を添えながらも感動してい
る自分。
僕は、ナルシストでは、ありませんが、自分で
自分が好きになれるヌードモデルは、大好きな
仕事だと思っています。
まとめ
人前でスッポンポンになるヌードモデル。
一見、プライドを捨てている様に見えますけど
ヌードモデルなりのプライドがあります。
誰もが、簡単に出来ないこと。羞恥心を押し殺
し芸術に身を捧げる事。自分自身が、裸体とい
う自然の芸術作品になること。
そうした様々なことから脱ぐという難しい行為
に誇りを持って裸になっています。
裸を見せるのがヌードモデルの役割です。
脱ぐお仕事。それは、裸のプロとしての自負心
が人前で堂々と在りのままの姿を披露出来る動
機です。
羞恥心は皆無ではありませんが、メンタルでコ
ントロールしています。
裸を見せるのがお仕事。だから、見る側は、遠
慮なくモデルの身体を観察してほしいです。
ヌードモデルは、見られるために日々鍛錬をし
ています。
「よ~く隅々まで見て」それが、ヌードモデル
の本音かもしれません。